未分化型初期胃がんからの帰還

2015.5.14の未分化型胃がん発覚から入院・手術・退院まで あっという間の6週間の日誌です。同じ経験をされる方の参考になれば幸いです。古い記事を頭に持ってくるためにブログの日付が逆行しています。ご容赦ください。5年間は年2回ペースで投稿します。

10.いよいよ手術を受ける  2015年6月10日(水)

5:50ごろに起床。
 
朝食は抜き。
 
渡されていた経口補水液(CMよく見るやつ 決して美味しいとはいえない)を飲みながら、院内コンビニで買った新聞を読み、トイレを済ませる。
 
8時過ぎには家内が来る。
 
世間話をしていると、看護師さんがやってくる。
 
術衣に着替え、血栓防止のストッキングを履くと、内部の局内者用エレベータで手術室へ。
 
局内者用スペースへの入り口で家内とはお別れだ。
 
本来は緊張しいな私だが、ここに来てもさほどの緊張はない。
 
がんの宣告以来、基本的にはまな板の鯉の気分のままが続いている。
 
手術室はかなり広い。担当医のK3先生含め7,8人のチームバチスタが出迎えてくれる。
 
「広いですねぇ」
 
正直な感想を言うと、
 
「そうなんですよ~、移転前の手術室は狭くて大変だったんですよ〜」
 
と教えてくれる。
 
最初に、氏名と手術内容の確認。
 
「お名前と本日の手術内容をおねがいします」といわれ、氏名と手術内容を自ら話すと、気分的にも、「さあやるぞ」という気持ちが湧いてくる。
 
(実際には「さあやられるぞ」が正しい)
 
幅の狭い手術台に寝かされ、先生から詳しい手術内容の説明を受ける。
 
内容はほぼ忘れてしまったが、硬膜外麻酔の説明を聞いていると今更だが若干気が滅入ったことを覚えている。
 
そして早速その硬膜外麻酔が始まる。
 
横向きになるように促され、術着をまくり上げられる。
 
「まず痛くないように背中に麻酔注射をします。これそのものも結構痛いんですけどね。」
 
そりゃたしかに痛いだろうなぁ。
 
あきらめの境地で注射を受ける。
 
確かになかなかの痛さで思わず「うっ」と声が出る。
 
「さて管を入れますよ、はい背中を丸めてぇ」
 
こっちだって痛いのはもう嫌だ。
 
 なるだけ脊椎の隙間をあけるべく背中を大き丸めようとする。
 
ちょっと背中を丸くして、さてここからと思った時「ずい〜ん」という衝撃が!
 
 タイミング悪く、こちらサイドの作業途中で早くも管の挿入が始まってしまったのだ。
 
これは痛〜い!
 
体中から冷や汗が出る。
 
さらに悪いことに管の入りが悪いようで、背後から「あれ?」とか声が聞こえる。
 
「中止しませんか?」
 
と言いたかったが、そうも言えず息も荒く我慢しているとようやく管の挿入が終わり、今度は仰向けになるように言われる。
 
仰向けになると半透明の酸素マスクと、左腕に点滴を入れてもらう。
 
「はい、ではこれから少しずつ麻酔の薬を静脈に入れていきます。深く呼吸をしてくださいね。」
 
「よろしくお願いします。」
 
僕は覚悟を決めて目を閉じた。
 
「目は閉じないで!!  なるだけ起きているようにがんばってください。」
 
「あ そうですか・・」
 
ばつの悪い思いで、再び目を開けた数十秒後、
 
デスクトップPCの電源コードをひっこ抜いたように、何の前触れもなく、僕は意識を失ったのである。
 
ーつづくー
 

 

11.覚醒 2015年6月10日(水) 夕方

わやわやわや・・
 
なにかイベントが終わった時のような、安堵感漂うざわめきが耳に入った。
 
「終わったんだ」
 
薄く目を開けると同時に息をしていないことに気づく。
 
なのに苦しくない!
 
説明は受けていたが、これはちょっとびっくりな体験だ。
 
「あ 気がついた? すぐに気管挿入抜きますからね。」
 
「するする」という感じで喉から管が抜かれると
 
「ぷはっ」という感じで呼吸が出来た。
 
まだ浅い呼吸だが、やはり息は自分でした方がいい。
 
「はい、じゃベッドに移動してもらいましょう。はいよっこらしょっと!」
 
何人かの看護師さんにシーツの端を持たれ、ベッドに水平移動させてもらう。
 
「ドン」という軽い衝撃で、お腹のあたり全体に広がる鈍い痛みと、喉のイガイガする不快感に気づく。
 
お腹の痛みは当然としても、この喉の不快感はなんだろう?
 
「手術は問題なく終わりましたよ。さ 移動しましょう。」
 
「ありがとうございました。」
 
僕がかすれた声で礼を言うか言わぬかのうちに、ベッドは看護師さんたちの手で動き出した。
 
照明がやけに眩しく感じられ、僕は軽く目をつぶっていた。
 
自分の身を人にゆだねながらなにかしら安堵感のようなものを味わっていたのかもしれない。
 
病室に戻ると家内と弟が待っていた。
 
見つめるふたりに僕が放ったひと言は
 
「・・あっという間だった・・」
 
そう、ほんとうにあっという間だった。
 
実際には5時間を超える手術だったのだが、その間の記憶も感覚も全くなく、フェードアウトもフェードインもなくぶつ切りでつながれた映像を見ているかのような感覚だったのだ。
 
看護師さんに現状と今後の説明を受ける。
 
・まず本日はベッドからは出れない。
今装着されているのは上から
1,酸素マスク
2,鼻から気管への水分排出用のチューブ(これがイガイガするやつだ)
3,背中に硬膜外麻酔のチューブ
4,お腹に腹腔内の体液排出用のドレンチューブ
5,手指に血液内の酸素濃度計
6,栄養と水分の点滴
これらは今後それぞれ様子を見ながら外していく。
 
血栓防止のストッキングの上からマッサージ器(正式には間欠的空気圧迫装置と言うそうだ)を装着して一晩ふくらはぎのマッサージを行う。
 
・看護師は2時間おきに検温と傷の具合の確認に来る。
 
・なので今晩一晩はほぼ寝れないと思ってください。
 
・寝返りしたいときは遠慮無く言ってください。
 
以上
 
看護師さんが帰り、家内と弟と少し話す。
 
お腹が痛いせいか、こちらの声はあまり大きく出ず、ささやき声程度。
 
家内は私が手術に向かったあと、することがないので部屋のベッドで仮眠しようと思っていたらしいが、程なく看護師さんが来てベッドを手術室に持って行ってしまったため、ガランとした病室と売店のあいだを行ったり来たりして時間を過ごしていたそうである。
 
また切除した部分はふたりで見せられたそうで、
 
「結構大きかった」「びろ〜んとしていた」との事。
 
手術は順調で、100CC 程度しか出血しなかった等々。
 
家内と弟が帰り、部屋で一人寝ているとあらためて「手術を受けた」という現実が感じられる。
 
硬膜外麻酔のお陰で、激痛ではないがお腹全体に鈍い痛みが脈打っている。
 
鼻から入っているチューブが気管にあたって不快だ。
 
カテーテルでの排尿が大変だった、という話を経験者から聞いていたが、それは大したことはなかった(ちょっとヒリヒリする程度)。
 
意外と不快だったのが、指に挟んだ酸素濃度計。
 
洗濯バサミのような形状で、挟まれた左人差し指が罰ゲームのようにじんじんしてくる。
 
外すと警報音がなるが、他の指でいろいろ試した結果、一番小さい小指が定位置に落ち着くことになった。
 
食事は昨夜からとってないが、空腹感や喉の渇きは殆ど感じない。
 
仰向けのまま、絡んだタンをテイッシュにとったり、足を少し動かしたりして過ごす。
 
間欠的空気圧迫装置は10秒おきくらいに「ぶ〜ん」という圧迫音と「す〜」という空気の抜ける音とともにふくらはぎをモミモミしてくるので、説明通り「これは寝れるわけないな」と納得。
 
2時間おきに看護師さんが、お腹の傷チェック(血などが浸出してないか)、ドレンチューブの点検、や体温を測りきてくれる。
 
ちょっとは寝返りをした方がいいかな、と思うが麻酔のためか特に腰の痛みなどはなく申し訳程度におしりを浮かせる程度。
 
息をしている他にすることがない一晩は長い。
 
ジリジリしながらようやく空が白み始めた頃、突如スマホのアラームが鳴った。
 
悪いことにスマホは、カギのかかっている引き出しにしまったままだ。
 
毎週木曜日、倫理法人会のセミナーに出るために4:20にアラームが鳴るようセットしていたのをすっかり忘れていた。
 
少し横向きになって引き出しを開けようと四苦八苦したが、すぐあきらめナースコールのボタンを押す。
 
看護師さんが来てくれて「こんなに早く電話?」といぶかる。
 
「いえ、自分でセットしたやつで・・」
 
看護師さんのお陰でようやくスマホとご対面、アラームを止めた。
 
せっかくなので、倫理の役員の方にメールを送り無事手術が終わったことを伝えた。
 
その後6時すぎに酸素マスクをとってもらい、多少スッキリ。
 
9時過ぎに回診があり、若い女医さんに鼻のチューブを抜いてもらう。
 
抜いているあいだは「ふがー」という感じだったが、抜けたら最高にスッキリ。
 
この若い女医さんは、まだ何かと雑用をする立場らしく、その後も尿道カテーテル以外のチューブを抜いてくれたのは全部この人だった。
 
その後看護師さんから起き方のレクチャーを受け、ベッドに座ることが出来た。
 
10時過ぎに家内が来て、色々話しながら過ごす。
 
看護師さんに連れて行ってもらい、点滴スタンドをお供に初の散歩。
 
数十メートル先のナースステーションまで行ったところで、めまいとあぶらあせ。
 
「麻酔のせいだから気にしないで」
 
と慰められるが、ちょっとがっかり。
 
この時は笑ったりすると腹筋が痛い程度で割と楽に過ごしていたが、傷の痛みを本当に知ることになるのはこの後だった。
 
夕方、一人で寝ているとまた回診があり、若い先生から
 
「背中のチューブも抜きましょうね」
 
とのお言葉。
 
前回同様、件の女医さんがするすると背中のチューブを抜く。
 
そのあとテレビなど見て2時間もしていると、だんだんとお腹から背中にかけて強い痛みを感じ始めた。
 
あばらの背中側を主体に痛みはどんどん強くなり、もはや気が遠くなるレベルに。
 
ナースコールをしたところ、痛み止めを静脈に入れてくれたが和らぐのはほんのすこしのあいだで、また痛みが襲ってくる。
 
「切ったんだから当たり前」と分かってはいるものの、これはなかなか辛かった。
 
夜になって仕事帰りの弟が様子を見に来たが、全く相手を出来る状態ではなかったので早々に帰ってもらい目をつぶる。
 
不思議なもので痛みはそのままにだんだん眠くなってきて、少しウトウトすることが出来た。
 
痛みを眠りが包み込むような感覚にしばし身を任せていると、電話が鳴った。
 
もうろうとしたまま電話にでると家内がなにか話しかけている。
 
話を制し「ちょっと今話せないから」と、やっと伝えると電話を切ってしまった。
 
どうやら私が痛がっているのを見て心配した弟が家内に電話し、いろいろ調べた家内が僕を安心させようと「麻酔が切れた痛みだから心配ない」と伝える内容の電話だったらしい。
 
事の次第をあとで聞かされ
 
「んなことは わかってる!」
 
と大笑いになった。
 
結局この痛みは徐々に和らいではいったものの、3日間僕を苦しめることになった。

12.早くも食事OKに 2015年6月12日(金)

 
 
浅い眠りから覚めた9時ごろ、男性看護師Nさんが来て尿道カテーテルを抜いてくれた。
 
痛い、という程ではなかったがなかなか抜けきらず、「うひょー」という声が自然と出た。
 
結構長いチューブが入っていたなぁ、というのがその時の感想。
 
Nさんにお腹よりあばらと背中が痛い旨話すと、
 
「運動していた方や若い方は背中痛がりますねぇ」
 
とのこと。
 
やはり体を動かさ(せ)ないことが痛みの原因になっているのだそうだ。
 
手術後切ったところではなく背中まで痛いのではお年寄りは大変じゃないか、と思ったことを言うと、
 
「不思議なもので、筋力のないお年寄りはそういう痛がり方はしないんですよ。うまいこと出来てるもんです。」
 
なるほどねぇ。
 
その後、ぎこちなく点滴スタンドを操りながらトイレに行ってみる。
 
初おしっこは、看護師さんの警告どおり血がにじんで
 
「あいててて」
 
という事になった。
 
昼前には、血栓防止のストッキングもとってもらう。
 
もともと化繊にかぶれやすいたちで、けっこうな痒みを感じていたが、案の定ふくらはぎは真っ赤になっていた。
 
このふくらはぎは7月末現在、まだ多少の痒みが残っている。
 
夕方、担当医のK3先生によるレントゲン検査。
 
「よしOK、明日から食事にしましょう。重湯じゃなく五分粥からのスタートでいいでしょう。お水は今日から飲んで構いませんよ。」
 
部屋に戻り水を少し飲んでみたが、歯磨きで口に含むことはしていたせいか、
 
「あーうまい」
 
という感じではなかった。
 
この日は8時間毎に痛み止めを点滴から入れてもらいながら過ごしたが、一人で散歩にも挑戦。
 
麻酔がとれているのでめまいもなく、ナースステーションを通り過ぎ、談話室まで行くことが出来た。

13.食事開始 2015年6月13日(土)

朝9時、待ちに待った朝食!
 
五分粥に、ニンジンと大根の煮物、がんもどき、キャベツの味噌汁、牛乳
 
「一回ごとに30回は噛むように、一度の食事に30分かけるように」
 
という指導を順守したつもりだが、おかゆなどはいつの間にか口の中から消えてしまう。
 
それにしても生まれてこの方、がんもどきをこんなに美味しいと思って食べたことがあっただろうか?
 
その後回診で、お腹に入っていたドレンチューブも抜いて頂く。
 
(例によってあの女医さん)
 
これは中でくっついてしまっているのか、なかなか取れず、引っ張られながら
 
「んんん~」
 
とか恥ずかしながら声が出てしまう。
 
これで後残っているのは点滴チューブだけだ。
 
10時30分、おやつにメイバランスという飲料がでる。
 
昼食もあまり変わりないメニューだったが、フルーツにネーブルオレンジがでた。
 
またまた、汁ひとつ残さずに食べてしまう。
 
14時ごろ、看護師さんが点滴の針をとってくれる。
 
これでとうとう自由の身だ。
 
ベッドから椅子に移動し、自由を満喫していると家内が子どもたちを連れてくる。
 
チューブのないスッキリした状態で、子どもたちに会えたのはよかった。
 
この日も夜に痛みが強くなった。
 
もう点滴は使えないので、飲み薬を頂いて就寝する。

14,退院の話 シャワー&アイスクリーム 2015年6月14日(日)

朝の回診で、シャワーが解禁になる。
 
先生方に前の日に作成した食べてたいと思っているものリストを見せる。
 
アイスクリーム、飴、和菓子、ヨーグルト、チョコレート等々・・
 
「どれを食べても問題ないですよ」とのこと。
 
「やった!」
 
思わず小さなガッツポーズがでる。
 
早速売店に行き、アイスクリームを買ってくる。
 
これはなかなか美味しかった。
 
シャワーを浴び、体中を清潔にして、ふくらはぎはじめ湿疹ができてしまっているところにクリームを塗るとたいそう気持ちがいい。
 
体重を計ると3Kg程度下がっていた。
 
またこの日は初トイレ(大)成功。
 
看護師さんから
 
「明日栄養指導受けてくださいね。18か19日あたりに退院できるんじゃないの? 」
 
との事前情報。
 
だんだん正常に戻っていく自分を感じる。
 
この日は鎮痛剤なしで眠りにつくことが出来た。

15.退院が決まる 2015年6月15日(月)

この日は4:30に目覚める。
 
足が細くなってるような気がして、病院の敷地内を散歩。
 
ベンチに腰掛けて朝日を浴びるととても平和な気分。
 
「あ〜あ」
 
と大あくびをしたいが、まだ痛いので、小さく2回にわけてあくびをする。 
 
もちろん、くしゃみなんか出たら悶絶ものである。
 
5分がゆの朝食を45分かけて食べ、横になっていると担当医のK3先生が様子を見に来る。
 
「よし、だいぶ良いですね。お昼から普通のご飯に戻して、問題なければ17日の退院は確定です。」
 
一緒に栄養指導を受けるためやって来た家内に伝えると
 
「え? そんなに早くて大丈夫なの?? もう2,3日置いておいてもらったら。」
 
だって。
 
たしかに、お腹切って1週間の人間が家にいたら不安だろうな(笑)
 
ふたりで受けた栄養指導では
 
・基本家族と同じ食事でOK ただしよく噛んで
・チーズやカステラなどのおやつ2回で一日5食をめざす
・甘いものはなるだけ食後に
・寝る前は食べない
・腸閉塞防止の為 山菜などの非水溶性の食物繊維は避ける
・同じ理由で ラーメンなどはよく噛んで とくに縮れ麺は注意
 
との指導を受ける。
 
「お酒は?」
 
と聞くと
 
「担当の先生に相談してください」
 
となぜかのスルー。
 
これは後でK3先生に確認してOKを頂いた。
 
そして待望のお昼は普通食。
 
なんと、お赤飯と天ぷら(と玉子豆腐とおひたし)のメニュー!
 
天ぷらはエビとナスだった。
 
ちょっと不安だったが、よく噛んでほぼ完食。
 
家内が帰った14時過ぎは、お見舞客がぱらぱらと6人ほど。
 
退院の話をすると、みな喜んでくれると同時に
 
「大丈夫なの?」
 
との心配の声。
 
小さい傷しかないお腹を見せて安心して頂く。
 
この日も鎮痛剤なしで寝ることが出来た。

コラム3 外科の見舞客は声がでかい

手術の翌日、硬膜外麻酔を取って痛みにひたすら耐えている時、隣の個室の見舞いに来たお客数名の声がでかくて、本当に堪えた。
 
しかも彼らは、どこかと電話連絡をとっているらしく、わざわざ廊下まで出て「あっはっは」などとやっている。
 
自分では声も出せない状態だったので、仕方なくナースコールをして看護師さんに注意してもらった。
 
注意された彼らは最初のうちこそ静かにしているものの、10分とたたずにまたヒートアップ!
 
布団をかぶり、痛みをこらえながら
 
「なんじゃ あいつら 小学生か!」
 
と本当に腹が立った。
 
しかしである。
 
いざ退院間際の自分のところ見舞客が来てみてわかったのだが、やはり自分たちもついつい結構な大声になってしまうのであった(恥)。
 
まずいと思った私が
 
「となりも人が入っているから静かにね。」
 
とお願いすると、少しは静かになるが、やはり10分と持たない。
 
お見舞いというのは本来静かにするもの、とわかっていても、
 
「良くなる」
 
から、退院間近の患者もお見舞客もやっぱり嬉しくなってしまうんだと思う。
 
そういえば隣の患者さんも二日後に出て行って、また別の人が入ってきたのだった。
 
次に入院することがあれば、寛容な心と自制を持って臨まねば、と思った次第。