最終回 5年経ちました
2020年6月18日午前
「えーと、結果はと、、」
いつものようにモニターを見つめる担当のK先生
「はい、異常は認められません
これで市立病院での診療は終わりです。
あとは定期的にかかりつけのA先生に内視鏡検査してもらってくださいね。」
K先生にそう言われ、帰り際の挨拶で思わず
「またよろしくお願いします」
と言ってしまい 苦笑されましたが
おかげさまで無事5年が過ぎました。
(今回、要検査項目が2点出ましたが、どちらも問題なしということになりました。)
これをご覧になる皆様は、きっとご自身に未分化型がんをはじめ、何らかのがんが見つかった方だと思います。
私が皆さんに申し上げたいのは
「早く見つかってよかったですね」
ステージが高い方もいらっしゃるかもですが、それでも明日見つかるよりいいんじゃないかと思っています。
医療は日進月歩。もうすぐ胃の切除もほとんど必要なくなる日が来るでしょう。
私も、毎日好きなことをやりつつ、いつの日にかIPS細胞か何かでできた増設用の胃を実装し、お腹いっぱい食べられる幸せをつかめる日を待ちたいと思います(笑)
ご愛読どうもありがとうございました。
0.プロローグ 2015年7月9日(木)
「はい、傷跡の治りも良好ですね。」
診察台から降りた私にK3先生は明るく続けた。
「切り取ったところの病理検査も問題なし。がん細胞は一番表層の粘膜部分にしかありませんでしたよ。一緒に切除したリンパ節もOK。ステージⅠというレベルでしたね。5年生存率は100%と言っていいでしょう。」
ある程度(希望とともに)予測していた結果ではあったが、やはりホッとする。
「あのー もう胃がんにはかからないってことですか?」
「いやいやいや 3分の1残った胃には、普通の方と同じ発がんリスクはありますからね(笑)。」
「あ もちろんそうですよね。」
「一応 半年後にCT取って、あとは毎年胃カメラ検査受けてくださいね。それでは!」
10分ほどで診察室を出され、僕は会計窓口のある1階への階段をとぼとぼと降りた。
まだちょっと切ったところが痛むのである。
とはいえ、5月に胃カメラ検査を元にガン宣告を受けてから2ヶ月弱。やっと肩の荷が降りた気分だ。
こんな自分の短い経験でも、誰かの役に立つかもしれない。
小瀧壺太郎 54歳
地方都市で小さな会社を営む中年男が胃カメラ検査で見つかった未分化型胃がんと向き合った経験を綴ってみようと思う。
1,あっさり宣告される 2015年5月14日(木)
- 「小滝さん ここ、がんになってましたね。」
GW明けの5月14日(木)13:30、Aクリニックの診療所で僕はあっさりがん宣告された。
「このかどのところね、胃角部というんですがここに薄く砂をまいたように病変がありますね。生検でがんと結果が出ました。」と胃カメラの写真を見ながら先生(女医さん)。
「このタイプは内視鏡では取れませんから手術が必要です。」
「あのー いつ頃手術受けたらいいんでしょう?」
(来るものが来たかぁ・・)先生のあっさりした口調につられたのか、ほとんどショックはなかった。
「正直言ってあんまり人相の良くないガンですから、そうのんびりしてられません。できれば月内に入院したほうがいいですよ。希望の病院を言ってくれればすぐ紹介状書きますから。」
「なるほど・・分かりました。信頼している従兄の医者がいるので相談させてください。ところで手術してどのくらいで社会復帰できます?」
「まあ、病気が病気だから・・開腹だったらあんまりあせらず秋ぐらいを目標にしたらどうですか?」
(3〜4ヶ月ってところか・・今年はゴルフできなくなっちゃうな・・)
なぜかそんなのんびりした思いが自然と頭に浮かぶ。
電話をしようと診療所のある12階からエレベータで2階のテラスに降りる。
空いているテーブルを探したがどこも一杯。
(立ったまんまでこんな重要な話をしなきゃないのか・・)
少し情けない気分になりながらも電話をかけると、家人が出る。
「あ、もしもし。いま検査結果聞いたら、がんだって。手術しなきゃないらしい。」
「え〜っ、ホントなの?」
「いくらなんでもそんな冗談言わないよ。まず従兄のKちゃんに電話して病院紹介してもらうから。」
「手術だけで大丈夫なの?他になんにも言われてないの?」
「初期から中期のⅡb型っていう胃がんだって。調べてみないとわからないこともあるけど、手術して、もしかすると抗がん剤を1年くらい飲むことになるかもしれないって。とりあえず入院までは普段通り生活してていいってさ。だから予定通り会合に行くけど、早く帰るよ。」
「うん、わかった。」
そんなことから、唐突に僕とがんとの短いお付き合いが始まったのだった。
2,そもそもなぜ胃カメラ検査を受けたのか
胃に関しては、ごく若い頃から空腹時にしくしく痛むことがあり、いわゆる「胃腸が弱い」という自覚はあることはあった(思春期、胃が痛いことは少し誇らしい感じがした)。
数年前にピロリ菌検査が陽性だったが、日本人の大半がもってるとか何とか聞いたことがあって「まあいいか」と放置していたのも事実だ。
父も母もがんでなくしているが、父は大腸、母は輸血性の肝炎がスタートだったし、血縁者に胃がんの経験者がいなかったため、過去胃カメラを2回受けたことはあったものの、自分が胃がんになる可能性のことはほとんど考慮したことがなかった。
そんな私が、特に気になる自覚症状がないにもかかわらず今年の4月に胃カメラ検査を受け、がんが発見されたのにはこんな経緯があった。
私「今年も政管ドック申し込んだけど、ほら、バリウム検査って後から下剤飲んだり大変だよね。」
私「あ そっか それもそうだね。」
がんを告知してくださった女医の先生からは「表面に広がるこのタイプのがんは、バリウム検査ではまず見つからないんですよ。弟さんに感謝しないと。」と言われた。
本当にこればっかりは感謝してもしきれない。
3,告知 その日は 2015年5月14日(木)
家に電話したあと、開業している従兄に電話したが当然のごとく診察中だったので、コールバックをお願いする。
10分ほどで従兄のK先生から電話が来る。
わけを話すと、びっくりしながらもすぐ、S病院を推薦してくれた。
その日は、1時半に検査結果を聞いたあと、とある経営勉強会と懇親会に参加する予定だった。
病院が決まってしまえば、今日は何もすることがない。
予定通り勉強会と懇親会に参加したが、さすがに2次会は遠慮し8時頃、家に帰った。
帰るなり妻から言われたのは
「ほんとうに電話で話してくれたことだけ?」
「うん、ほんとうにそれだけ。多分2/3取ることになりそう。ほら、お世話になってるNさんいるでしょ。あの人も5年位前にがんで胃を全部とっちゃってるけど、一月おきに元気に会社に遊びに来てるでしょ。毎回僕と飲んでるし・・だから大丈夫。まあ詳しいことはネットで調べたりS病院の検査でわかるから。」
「うん、実はもう色々調べてたんだけど、パパの話してくれたとおりだったら、手術すれば大丈夫みたいね。」
「そういうこと。まあ、あれこれ心配しないでやるべきことをやろう。子どもたちにも話すから呼んできて。」
多少懇親会のお酒の勢いもあって、子どもたちにも話すことにした。
24,17、13才の3人娘である。
それぞれの部屋から出てきた子どもたちに向かって話す。雰囲気を察したのか、皆おとなしい。
「これから大事な話をします。こないだの検査の結果を聞きに行ったら初期の胃がんだそうです。でも手術をすれば大丈夫。入院やなんかでいろいろ不便をかけるけどよろしくね。」
下のふたりは黙ってうなずく。幸いあまり強いショックは感じてなさそうだ。
上の子は生命保険会社に勤めているので多少知識があり、こう励ましてくれる。
「男の人の57%は一生の間に1回は何かのがんになるって言うし、これからは美味しいものをちょっとだけ食べる生活だね。」
この日は、家でさらにお湯割りを2杯ほど飲んで寝て、翌日はいつもどおり目が覚めた。
あとで聞くと、大口開いて寝ていた私のとなりで妻は少し泣いたそうだ。
この日一日、自分でも不思議なぐらい、ショックはなく冷静だった。
この日考えたのは、最終的な結果はどうあれ、ロビンソン・クルーソーのように、この後もできるだけ普段通り暮らそうということだけだった。
もしかしたら、あまりにもたまげたので頭が深く考えることを拒否していたのかもしれない。
4,誰にいつ話すか 2015年5月15日(金)
告知翌日の15日、いつもどおり少し早めに会社に行き、やはり早く来ていた監査役に話した。
監査役は、私の父の代から役員を務め、私が会社を引き継でからもずっと頑張り続けてくださっている大先輩だ。まずこの人に伝えなくては。
次に出社してきた弟ふたりを呼んで話し、長年一緒にやって来た同い年の総務部長に話す。
当然、みんなびっくりだ。
この段階では数ヶ月かかるとの話だったので、その間よろしくとお願いする。
とは言え当社は役員間の分業が進んでおり、私の短期の仕事は基本広告宣伝と検討事項の決済だけなので、この2つについて一時的に権限を委嘱するだけだ。
管理職はじめ社員の皆さん、長期離脱でご迷惑をかけそうな仕入先、金融機関、倫理法人会には混乱を避けるために、入院期間などがはっきりしてからお伝えすることにした。
関わっていた大学と中学の同窓会の幹事会、大学のサークルの友人なども同様。
ただし情報は極力オープンにしたいので、口止めはしないことにした。
FBについてはいずれオープンにと思ったが、明るい話題でもないし防犯面などもあるので、無事退院してからにしようと決めた。