未分化型初期胃がんからの帰還

2015.5.14の未分化型胃がん発覚から入院・手術・退院まで あっという間の6週間の日誌です。同じ経験をされる方の参考になれば幸いです。古い記事を頭に持ってくるためにブログの日付が逆行しています。ご容赦ください。5年間は年2回ペースで投稿します。

5,S病院初受診まで 2015年5月15〜20日

5月15日(金)
 
昼前に紹介状をいただきにSクリニックに行き、またもや2階のテラスで(今度は座れた)S病院に予約の電話を入れる。
 
「病名は?」と聞かれ、一瞬間を置いて「胃がんだそうです」と答える。
 
極めて事務的に「では、消化器内科の先生が20日いらっしゃいますので」と伝えられ、6日後の受診が決まった。
 
一応ネットなどで病気のことは調べ、わからないながらも「スキルス性でなければそんなに心配ないだろう」と自分なりの結論を出す。
 
万一そうだった場合に備え、長期または永久離脱の場合の公私の対策をねって簡単に文章化した。とはいえ亡父に倣い、かねてから最悪に備えた準備はいろいろしている方なので、確認作業程度。さほどの手間はかからなかった。
 
その間も当然日常は続いていく。
 
この時期恒例の社員一人ひとりとの個人面談、講師をつとめているビジネス系講座の講義(受講生の皆さんには事実と次回は本部講師の代講になる旨伝えた)。
 
会長を務めている倫理法人会ブランチ(単会と呼ばれている)10周年の打ち合わせ、様々な飲み会などなど。
 
ロビンソン・クルーソー作戦のせいか、あんまり余計なことは考えず、よく飲みよく食べよく眠る生活だった。
 
が、一晩だけどうしても恐ろしく、寝る前に歯がカチカチと震えた事があった。
 
しかしトイレで倫理研究所の日めくりカレンダーを見ていたら、あっという間に心が落ち着いてしまった。
 
まさしく宗教でも思想でも何でもない「くらし方」なんだな、と納得。
 

6,S病院初受診 2015年5月20日(水)

この日、会社を休み11時からの消化器内科の初受診に家人と赴く。
 
S病院は開院6ヶ月のできたてホヤホヤ、とてもきれいで近未来的な病院だ。
 
事務スタッフ、看護師はもちろん、案内係のボランティアの方など、人員もとても充実している。
 
血液検査や尿検査、レントゲン検査などひと通り受けたあと、担当のK先生自らが胃カメラ検査をしてくれ、ここでも組織を取られる。
 
胃カメラは、精度が高いタイプとのことで結構太く、ちょっと苦労した。
 
鎮静剤が覚めた頃、診察室に呼ばれ家人と二人で話を聞くことに。
 
K2先生はメモを書きながら丁寧に説明してくれる。
 
「胃の内側の曲がり角、胃角部に直径4センチ幅くらいのパラパラと浅いガン細胞の広がりがありますね。
 
深さは粘膜から中層まで、未分化型でⅡcと呼ばれる段階です。
 
転移の有無はこれからの検査次第ですがリスクは低いといえるでしょう。」
 
段階はbからcになってしまったが、転移のリスクが低いと言われひとまずホッとする。
 
「治療ですが、腹腔鏡による外科手術を行います。
 
範囲は生検の結果を見て決めます。
 
また周辺のリンパ節も念の為に郭清(かくせい)と言って少し取ってしまいます。
 
10日後の6月1日にまた胃カメラを使って、確定した切除範囲に目印のクリップをつけます。
 
入院は6月の10日頃かなぁ。」
 
「それで退院は?」
 
「月末ぐらいを目標に。そこから一月くらい自宅療養が必要です。」
 
「分かりました。今後の生活で気をつけることは?」
 
「普段通りで結構です。ただしお酒だけは我慢して下さい。
 
未分化型の患者さんだけなんですが、お酒を飲むと胃が充血して、良いところと悪いところの境目がはっきりしなくなってクリップしにくくなるんですよ。」
 
そう言われても飲むほどのアホではない。
 
ここから手術までは完全禁酒を貫いた。

7,初診から二週間は検査の日々 入院日も決まった  2015年5月22〜29日

初診から二日後の5月22日(金)は朝イチでCT検査。
 
看護師さんがCTに横たわった私の脇についてくれ、温めた造影剤を静脈から注入。
 
瞬間で体が熱く感じる(特に頭)。
 
血液というのは心臓がドッキンとなる1秒からそこらで体中をめぐるのだそうだ。
 
ぐあいが悪くなる、と知人に脅かされていたが特にそういうこともなく無事検査を終えた。
 
その後、循環器内科にまわり診察をうけ、24時間心電計を装着される。
 
(心電計は専用のポシェットに入れてたすき掛けで持ち歩く。「女子力アップ」と娘たちにさんざんからかわれた。)
 
外来もほぼ終盤戦だったせいか、だいぶお疲れ気味の先生。頭がさがる。
 
週明けの25日(月)は大腸検査。
 
前日の晩ご飯はうどんだけ。翌朝自宅で下剤を2リットル飲んでお腹を空にする。
 
ミリ単位のポリープが1個だけ見つかったが、K2先生が言うには放置していて良いとのこと。
 
翌日26日(火)は、消化器内科のK2先生からCTと生検の結果を聞く。
 
CTの結果血液・リンパ系の転移は認められず。胃の上側の生検はセーフ。
 
胃の下2/3切除と決まったので、胃カメラで切除部分に印のクリップをする。
 
これは比喩的なクリップではなく物理的なクリップを5〜6個。理科で使う、みの虫クリップみたいな形状のものだ。
 
「絶対に取れないから安心して食べたり飲んだりしてください。」とK2先生は言うが、初日はなんとなく不安。
 
お腹を振ると音が出るような気がする。
 
午後から、バリウム検査。胃の形や位置の確認だろうか??
 
二日後の28日(木)に消化器内科から外科に引き渡され、担当のK3先生の診察。
 
K3先生も気さくな安心してお話できる方でした。
 
「手術室はと、、6月10日が空いてるから前日の6月9日の午前に入院してください。」
 
やっと入院日がはっきりして気が楽になる。
 
「はい、それで退院は・・消化器内科の先生からは月末ぐらいを目標にって言われてるんですけど。」
 
「うーん、もうちょっと早いかな。6月21日の週のどこかって思っておいてください。」
 
「7月中旬には社会復帰できます?」
 
「ああ、大丈夫ですよ。ぜひがんばってください。」
 
ということで、だいたいの日程がはっきりした。
 
当初言われていたよりもずいぶん短縮された。
 
これで、対外的にも発表できる。
 
帰社後、執行役員もふくめた取締役に内容を伝え、月曜に関係各所への連絡をお願いする。
 
夕方に、前歯の差し歯やり直しで通っていた歯科に、わけを話して治療を中断。
 
仮歯をしっかり入れて頂く。
 
週末の29日(金)は再度循環器内科へ。
 
負荷心電図検査は踏み台を何分か昇り降りをしてから調べる。
 
心臓を超音波でも診てもらう。
 
前回の24時間心電計も含めて、手術に耐えられるということで太鼓判を押して貰う。
 
循環器内科のM先生もお疲れ気味の前回とは別人のようにお元気そう。
 
「手術がんばってくださいね。」と力強く励まして頂く。
 
感謝。

コラム1 肺機能検査の看護師さん

初診日の検査だったと思うけど、肺機能検査があった。
 
いわゆる肺活量の検査だ。
 
鼻をクリップでつままれ、白い紙の筒をくわえて息を吐くやつ。
 
「はい 息を吸えるだけ吸ってぇ 
 
止めたら フゥーーーーーっ!!っと吐いてぇ
 
ハイ もっともっともっとぉーーっ!!」
 
実演付きで指導してくれる担当の看護師さんは大変な重労働だ。
 
しかも私で終わりではない。次から次へと患者はやってくる。
 
でもあんだけ吸ったり吐いたりしてたら
 
ご本人の健康には良いかもね。

 

8,入院前は何かと気ぜわしく 2015年6月1〜8日

 
 
入院前、6月1日(月)の週は日々の業務や、入院前にやっておかねばならないことなど、何かと気ぜわしく過ぎた。
 
入院と関係なく予定されていた会議や来客、入院前に決めなくてはいけない細々としたこと等々。
 
業務上の事が多く、詳しく書いても面白いところはない。
 
そんな中、気のおけない友人が開いてくれた壮行会もあった。
 
私がお酒が飲めないので、最後に甘いものを食べるという、少々締りのない終わり方だったが、想い出深いものとなった。
 
土日は家族と過ごす。
 
やはりここもロビンソン・クルーソー計画通り、普段の土日とほぼ変わらずに過ごす。
 
土曜、2女が最後の高総体なので応援に行く。
 
一度はマッチポイントを握るなど善戦したが一歩及ばず。
 
日曜日は家族で通っている美容室でショートにしてもらう。
 
普段もわりと短め(と若干薄め)なのに美容師さんがくせ毛などに配慮して切っていった結果、高校以来の坊主になってしまった。
 
切った美容師さんが、僕の頭をなでながら爆笑・・
 
入院前、最後の趣味の料理はコロッケ。
 
コロッケはじゃがいもの蒸しが甘く、マッシュするのに少々苦労した。
 
ひき肉を炒めるときにナツメグパウダーを振るとお店っぽい味になる。
 
明けて入院前日の6月8日(月)、朝だけ会社に行く。
 
朝礼で会社の皆さんに留守中のことをお願いする。
 
前の週の朝礼で社長がいなくても「いつもどおり変わらず」とお願いしていたが、この日は社長がいない分「いつもよりちょっと多めに」頑張っていただくようお願いする。
 
昼前に自宅に戻り、入院の仕度。
 
事前に渡されていた「入院のご案内」というパンフレットのチェックリストを見ながら一つづつ準備していく。
 
リストの中にあった「健康保険限度額適用認定証」は全国健康保険協会に事前申請して入手していた。
 
これがあると、自己負担限度額以上がが最初からカットされて請求されるすぐれもの。
 
昨年亡くなった母の入院の時は、後で払い戻しを受ける形だったが、適用されている健保の種類が違うのかな。
 
病院のコンビニにもあるよなぁ、と思いつつも部屋履きのサンダルや洗面器なんかも買ってくる。

 

9,入院当日 2015年6月9日(火)

朝、子どもたちを送り出して家内と車に荷物一式を積んで病院に向かう。
 
玄関でカート一つでは足りずまごまごしていると、ガードマンの方がすぐもう一つ持ってきてくださる。
 
正門から入り、指示されていたとおり受付を通さず総合サポートセンターへ。
 
入院患者はここで受け付けてもらうことになっているようだ。
 
保険証や認定証を渡し、書類に必要事項などを書き込み、病室に案内される。
 
平野を望む素晴らしい眺望の部屋だ。
 
入院給付金が結構出る生保に入っていたので、個室をお願いしていた。
 
集団生活が苦手なこと、給付金を使い余すのも縁起が悪いなというゲン担ぎと、めったにない機会だからという野次馬根性が加わっての決断だ。
 
一応社長なので、お見舞いに来る方へのミエもある(ま、結局ミエを張るようなお客は来なかったのだが)。
 
荷物を片付けていると、看護師長のTさん、その日の担当看護師Aさんが来て、入院期間中の過ごし方などを教えて頂く。
 
合間を見て、葬祭会館やお寺と母の初盆の打ち合わせをしたり、貸している義父母の建てた家の下水故障の修理お願いだとかの電話をする。
 
お昼の食事はもちろんぺろりと平らげ、その後歯科の検査がある。
 
歯のばい菌が、術後肺に入って肺炎になることがあるそうで、丁寧にクリーニングして頂く。親知らずが一本真横に生えて歯茎の中にあることも分かった。
 
そのあと、手術の流れと麻酔の説明と各々の同意書へのサイン。
 
手術は兼ねて説明があったとおり、「腹腔鏡下幽門側胃切除」。
 
手術時間は4時間ほど、麻酔の前後でプラス60〜90分とのこと。
 
お腹に5箇所切れ目を入れて、そこからいろんな機械を入れて胃の下側2/3を切り取り、十二指腸と吻合。
 
もし開けてみて、噴門側(上の方)も思わしくなければ、胃を全部切除。
 
その場合は、十二指腸は動脈とくっついていてそんなに引っ張れないため、小腸を(切って引っ張ってきて)胃に直接つなげ、離れ小島となった(膵臓と直結した)十二指腸を行き止まりみたいに途中につなげることになるとのこと。
 
全身麻酔は、普通の睡眠などよりも深い状態になるので自発呼吸すら出来ないそうだ。
 
その間は気管に空気を送るチューブを挿入しての人工呼吸になる。
 
麻酔から目が覚めた時、自発呼吸してないのにびっくりしてパニックになる人がいるので注意するようにとのこと。
 
事前に麻酔による死亡のリスクも説明されるから、「あ いってしまった」と思うのかな。
 
なんとなく気持ちはわかる。
 
静脈の注射の前に、硬膜外麻酔といって背骨に管を入れる麻酔をするそうだ。
 
これは痛そう・・
 
20才の頃、交通事故で鎖骨を折り、その手術で全身麻酔を受けたその時は、硬膜外麻酔もなかったし、目が覚めたら気管には何も入ってなかったような気がする。
 
色々進歩しているのだろう。
 
この病院は完全看護のため夜間の付き添いが出来ないので、夕方家内が帰る。
 
することがないので、持参した大型ヘッドホンで音楽を聞きながら、今後の予定表など眺めていると看護師さんがふたり来て、除毛とおへその穴の消毒をしてくれる。
 
除毛は私の慎ましいギャランドゥをトリマーで切っただけだが、おへその方はやたら熱心にゴマをとって、さらに消毒薬「イソジン」のゼリーをたっぷりと塗りこみ、透明な正方形のシールをしていった。
 
あとで見てみるとゼリーがはみ出そうに詰まっていて、まるでチョココロネのような状態になっていた。
 
夕食を食べ、風呂にはいるともうすることがない。
 
消灯時間になったが、ここは個室の特権、家内のiPhoneに電話をして、フェイスタイムで家族の顔を見て話をする。
 
初めて使うが、これはなかなか便利。
 
10時ごろ就寝しようと電気を消す。
 
室内が寒く、タオルケット一枚ではなかなか寝付けない。しばらく我慢してたが鼻水が出てくる。
 
ナースコールしようかと思うが、「こんなことで」と気が引ける。
 
手術当日に風邪をひくわけにもいかないと心を励ましボタンを押すと、1分もせずに看護師さんが来てくれ、嫌な顔ひとつせず毛布を持ってきてくれた。
 
お陰で翌日の朝6時までぐっすりと寝ることが出来た。
 
その後も看護師さん達からは、「どんな小さなことでも呼んでいいんですよ」と何回か言って頂くのだが、この「こんなことで」という気持ちは結局退院まで抜けなかった。
 

コラム2 看護師さん

私のいた13階東病棟は、主に手術を受ける患者さんのための外科病棟だったようで、ギプスをしている怪我のひとは西病棟のようだった。
 
東だけで看護師さんは常時5〜6人。皆親切で行き届いた看護をしてくださった。
 
体の自由が効かないあいだ数回ナースコールさせてもらったが、全回1分とかからず来てくれた。
 
もともと良い人たちなのと、人員に余裕があることも一因だと思う。
 
フランクで接しやすい雰囲気のHさん、童顔で真剣に作業をしている姿がかわいいSさん、クールビューティーなのに結構仙台弁のMさん。
 
男性看護師も2名いて、そのうちNさんが2回ほど担当してくれた。力があるのと、質問に論理的に答えてくれるのがなんとも頼もしかった。
 
退院のタイミングが検温の時間と重なってしまい、看護師の皆さんにはろくに挨拶もできなかったが、本当にありがとうございました。